ネコと学ぶ!たのしい日本・海外の文化

日本・海外の文化をたのしくお届けしたいネコ

百人一首の日

ごきげんよう
チョーセキである。

5月27日は『百人一首の日』だ。
学生時代、授業で覚えた記憶があるぞ。
懐かしいな。
テストさえなければあの頃に戻るのも悪くないのだがな……。
しかし、せっかくの記念日だ。
今日はあの頃の気持ちを思い出しながら、記念日について語っていくぞ。

f:id:nekonekomanabu:20190527151339j:plain



時は1235年。文歴2年。
藤原定家によって、小倉百人一首は完成された。
藤原定家の日記、『明月記』の文暦2年5月27日の項には、定家が親友の宇都宮入道蓮生(頼綱)の求めに応じて書写した和歌百首が 嵯峨の小倉山荘(嵯峨中院山荘)の障子に貼られたとの記述があったそうだ。
この記事が小倉百人一首の初出ではないかと考えられているみたいだぞ。

この色紙は障子の装飾のために作成されたもので、当時はこの小倉百人一首に決まった呼び名はなく、『小倉山荘色紙和歌』、『嵯峨山荘色紙和歌』、『小倉色紙』などと呼ばれたそうだ。
その後、小倉山の山荘で和歌百首を選んだということから『小倉百人一首』の名称が定着。
今と同じ呼び名になった、ということだな。

さて、そんな百人一首だが。
学校で習う古典や、お正月または競技のかるたの方が馴染みがあるという人が多いだろう。
なに、心配することはない。
我輩も和歌として捉えるより、そちらの印象の方が強いからな。
授業中にいくつか書き取りをした思い出もある。

ここで百人一首について少しだけ触れておくとしよう。
百人一首とは、 一人一首ずつ百人の作品合計百首を集めた秀歌選の一種である。
最も知られるのは『小倉百人一首』。
これは天智天皇から順徳天皇にいたる百人の秀歌百首から成り、歌がるたとして広く民衆の生活に浸透し、古典和歌の普及に役立った。
なお将軍足利義尚撰『新百人一首』をはじめ、『武家』、『女房』、『道歌』、『英雄』などを冠した百人一首の類が多数作られ、江戸時代には歌がるたとして流行したとのことだ。

5・7・5・7・7のリズムで読まれる和歌。
歌は心だという言葉通り、百人一首も人の心を綴ったものが多い。
今日という日に一句歌うのもまた文化だろう。
ぜひ、キミだけの心を表現してくれたまえ。

いかがだったかな?
次回も不定期に紹介していくぞ。

では、また会おう。
さらばだ。


PROFILE
チョーセキ
デザイン&マーケティング担当。主に日本で流行っている・関心を持たれているものについて紹介している。運動は好きだが、正座はあまり得意ではない。じっとしているのも得意ではない